臨電の紹介
臨電についてご紹介します

臨電の生い立ち

 大正後期に川崎周辺にある港湾施設と都心への貨物輸送をおもな目的として,軌間は1067mmの蒸気鉄道として敷設されました。その後すぐに600V(のちに昇圧され現在は1500V)で電化され,電車による旅客輸送が始まりました。この頃から社名が京濱臨港鉄道から京浜臨港電鉄に変わりました。電化当時に走っていた車輌は路面電車のようで,蒸気機関車と混じって運行されていた様子はとても不思議なものだったようです。

 当初は京浜の名のとおり,東京から海岸まわりのルートで鶴見,横浜方面まで延伸する予定でしたが,資金不足や戦争のために頓挫し,そのまま旅客輸送が続けられました。やがて沿線に林立する工場へ物資を運ぶ貨物輸送が復活し,現在に続いています。


路線と運用されている車輌について

 全線複線で,8駅,2信号所,全長7.2kmの小さな鉄道です。待避施設は,大町駅,八幡神社駅,観音運河駅にあり,急行や貨物列車の待避に使われます。朝夕ラッシュ時には新旧ざまざまな形態の車両が4両編成となって最大5分間隔で運行され,桜貝塚〜電鉄臨港間ノンストップの急行運転も行われています。一方昼間になると2輌編成となり,のんびりと運転されています。なお,休日の昼間になると単行運転もあるようです。

 路線の途中に急カーブがあるため,15m級の車両しか運行できず,自社発注車両をはじめ,さまざまな鉄道の小さな電車が集まり,小型車の天国となっています。いまでは多くの鉄道ファンが訪れるようになりました。

 貨物列車を引く機関車は丸窓の川車製電気機関車(小田急(現岳南)のED1020と同系機)が重連で日に5回ほど,4〜5両程度のタンク車を引いています。最近では相鉄から来た機関車が本務機となり,バトンを引き継いでいます。また,大町駅での構内入れ換え用には川車製凸型機関車(東急の入れ換え機と同系機)が活躍しています。

 貨物輸送は減少しましたが,近隣の工場や港湾施設に向かう人々,沿線住民を乗せて快走しています。とくにラッシュ時の川崎,蒲田近辺における道路状況のせいか,臨電を経由して電鉄臨港駅などから各工場へ向かう専用バスが運行されていたりします。 また,近年新型車両が導入され,旧型車両の淘汰が始まろうとしています。


朝夕の急行運転

 小さな鉄道ですが,特別料金不要の急行運転がされています。朝は桜貝塚→電鉄臨港間,夕方はその逆で電鉄臨港間→桜貝塚間で,それぞれ30〜15分おきに4本運行されています。

 いずれもラッシュ緩和を目的とした運用です。京浜急行の特急などと桜貝塚駅で待ち合わせを行っているのも特徴のひとつです。また,ほとんどの場合で,待避施設のある大町駅と八幡神社前駅,観音運河駅で各駅停車を追い抜きます。

 急行には2編成が利用されます。ひとつは「デハ30形4連」です。シル/ヘッダー付きの旧型車輌がパンタグラフを4つあげて,いまではほとんど聞かれなくなった釣り掛け式モーターを響かせて疾走する姿を見せています。

 もうひとつは旧型車輌を運用の中心にした構成です。ドア数の多い70形がよく使われています。70形が全検などの理由で出場できないときは60形と70形の組み合わせになります。60形は大手私鉄で優等列車として製作されていたものの結局は走ることができず,臨電に引き取られてやっと急行運用につくことができた車輌です。ヘッドマークを付けた60形を見るとまぼろしの急行としての運命を感じさせます。

 また,新性能車の系列にあたる380形などと冷房化されたデハ30形の組み合わせも見られます。VVVF試験車のデハ38が連結されることもあり,カルダン駆動,釣り掛け,VVVFという3種類の違うモーター音が聞こえるおもしろい編成になることもあります。


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